皆、好きになる前に動いている?

なんか、世の中の定型発達者は好きになる前に動いているような気がするんですよね。

好きになってからだと、まず尋常じゃなくなって、人によっては重くなったり怖くなったりするじゃないですか。発達障害者は特に。

で、どうもね。定型の人見てるとみんなスマートに恋人関係まで行ってるんだよね。破綻もなく。で、私を例にとると、入り口の段階で破綻する。なんか思い込みが強くて重くて、相手を怖がらせたあげく自爆して破綻する。情けない。

 

定型発達者はよほど自分をコントロールする術に長けているのかなと思ったけど、お笑いライブとか見てると、定型さんでも緊張しまくっているから、緊張度は大差ないと見たね。だとすると、定型さんは自分をコントロールできる状況からスタートかけてるような気がするんだよね。どうも。

うちらは、恋が燃え上がってから動くから、重いとか怖いとか言われるんだわ。しかも世間様が誤学習をリードなさいますので。「愛は大事」とか言われて信じてた。うちの時間を返せ。せめて「重い愛はダメ」とか言ってくれたら、対策立ててた。うん。

 

というわけで、スタートで遅れるだけでハンディだし、世の中のきれいごとに流されてはいけないと思いました。

 

発達さんはとくに恋愛面では成長が遅い傾向があるから、スタートラインに立った時が30代~40代だったりすることがあるので注意。本当は勧めたくないけどマニュアル読んどけって話です。マジ。

しかし、私もこんなこと書いてていいんだろうかって気はする。気はするけど書いてしまう。止められても書いてしまう。嫌な癖。

二村ヒトシは(正確にはその著書で)、マニュアル見るより私を見てといったらしい。それは真実だけど、メタ認知が弱い発達さんは難しい。それから自分が一番の発達さんも難しい。自分が一番大事な発達さんは、どうしたら他人を思いやれるのか、一生の課題のような気もするが、苦労してクリアしてる発達さんの方が多いんだよね。やっぱり過保護が一番ダメなような気がする。それって私だ。

皆が好きな物を嫌っていないか

昔、とある発達障害の方のホームページにお邪魔したのですが。彼は嫌いなものを沢山書いていたんです。私はそれを見て、少しだけ嫌な気分になりました。彼が嫌いな物を好きな人もいるわけで、入り口で入場者の選別をしていることになります。

 

いつの時代でもサイトの訪問者は多いことが望まれます。それなのに、ある程度のファン層を持つアーティストを嫌いという言葉で片付けてしまうのはどうなんでしょうか。

 

まあ、特定の思想を支持しているブログであれば対立思想の持主には訪問してもらいたくないので、早めに旗色を鮮明にしておく必要はありますが、政治的ではない一般のサイトで、それをやってしまうのは自殺行為に等しいと思います。

 

私自身もかなりメジャーなアーティストについて毛嫌いすることが多く、現実問題としてほとんど聴いてはいませんが、別に表立って主張することはあまりありません。

 

現実に親しくなって音楽談義をするような仲になるのは、ごく少数ですから、あまり殊更に好き嫌いを目立たせる必要はないのではと思います。

その場その場でふさわしい態度をしているか

今回は短いです。

過去を何度か振り返ってみて、もしかして自分は、その場に相応しくない態度を取り続けていたのではないかと気づきました。

 

たとえばゼミのコンパでは怒って暴れました。

別に酒乱とかではなく、日ごろのうっ憤が貯まっていたせいだと思います。

でも、ゼミでの扱いが悪いからと言って、それを晴れの場でぶちまけていいのでしょうか。良くないに決まっています。空気を読む以前の問題です。

 

その他にも、学年のコンパであまり楽しそうな顔をしていなかったとか。職場でも笑顔ではなく仏頂面で仕事をしていたりします。

 

もともと発達障害のせいで表情が作りがたく、気を抜くと怒り顔になってしまうことは、最近になってやっと気づきました。

 

私が集団の中で浮いてしまったり、疎まれていたのは、本来するべき表情や態度を選択していなかったのではないでしょうか。

 

職場で働くにしても、本来は嫌なものですが、不機嫌でいると他の人に伝染してしまうので、みななるべく表情は出さないでいたような気がします。またはお客様の前では努めて笑顔でいるとか。

 

それなのに一人だけ怒った顔をしていれば、変な奴だと思うでしょうし、文句の一つで持たれたくなるのではないでしょうか。

 

この他にも失敗例はあります。笑顔でいるべき場所で笑顔でいたのですが、他の人を指さして「生首みたい」と言って吹き出していました。今思うと、これ言われた相手は嫌な気分になりますよね。つまり笑顔だからいいというものでもなく、なるべく他者に迷惑をかけない理由で笑顔でいることが求められています。

 

その常識的な面に大きな認識の食い違いがあるのか、どこの場でも浮きまくり、歓迎はされていませんでした。これは酒が入っても同じで、陽気にはなるのですが、人の常識と違ったことで喜んだり騒いだりします。

 

学生時代には酔って、ダッシュをやって先輩に叱られました。どうも私の認識では、酒に酔ったらどんな行動をしてもいいと考えていた節があります。ただ、ダッシュした時点ではそれ程酔っていなかったので、叱られてしまったのでしょう。

 

他には、どうしても飲み会の席で雑談のネタがみつからないので黙ってしまう事が多かったのですが、これはASDのなせる業なので仕方ないかもしれません。

 

以上、学校や職場やゼミなどで浮いてしまう人は、状況に相応しい態度、表情、でいるかを考えて見てください。考えてもわからない方がおられましたら、発達特性で仕方ないと思われますので、他の方の行動を観察して真似てみてください。ただ、それをしても忘れてしまうのが、我々の辛いところです。

何者にもなれない自分の不思議さ

私を知ってる人は、ご存知だと思うのですが。占いマニアです。

だから占い師を目指せばいいじゃないかと思う人はいるかもしれませんが、その発想はありませんでした。

10年前ぐらいに占い師になるハウトゥ本が出版されていたのですが、自分自身占い師になる気はまったくなく、素通りしてきました。

占いを仕事にするとしても、独学では無理ですし、市販の本やネットで出回ってる情報だけでは足りないらしいです。

どうやら門外不出のテクニックがあるみたいで、それは口伝で教わることになります。

私なんぞは口が軽いから、入門の段階で人間性を見透かされて断られてしまうでしょう。

それ以前に、占いで食っていく気は全くないです。どうしても、そういう発想になりません。

現実問題として、私の出来ることは少なく、就労先も単純作業的な職種に限定されるだろうと予想でき、それが狭き門なのもわかってはいるのですが、だからと言って『占い師を仕事に』という考えには至りませんでした。

もし仮に、まとまったお金があって、占い学校に入学できたとしても、その知識を私の事に使ってしまうと思います。

占いの技術を人に教えることで食べていくのではなく、占断で出た結果の職業を目指すという流れになるでしょう。

この考え方の原因に、発達障害が影響しているかどうかは不明ですが、発達障害者は一般的に占いに取り込まれやすく、新興宗教やスピリチュアルにはまりがちになるとはよく言われております。

私は男性ですが、そもそも男性の占いマニアというものが少数派みたいですね。

占い的なオカルトめいた話になりますが、いくら職種を変えようと努力しても、小売業界に吸い込まれる様に就労してしまいます。

もしかするとこれは、今回の人生では小売業を極めよという暗黙のメッセージかも知れません。

将来の進路は行き当たりばったり

確か中学ぐらいまでは、将来の進路に関してはなんとかなっていましたが。

高校に入学してから、数学がまるでダメで、将来の進路が絶たれてしまいました。

魚が好きだったので水族館に勤務したかったのですが、どうやら理系でないといけないらしい。

また、中学生時代から自分を治すために心理学にはまっていたのですが、こちらも理系でないと大学進学は無理だと知らされました。

この後、来るはずもない徴兵制度の復活を恐れるあまり、理系学科を目指そうとします。ここら辺が変なのです。自分が20歳になる頃は学徒動員がなされていると真面目に考えていました。

結局、農学部の農業経済系学科を受けようとして、落ちて、別の学科に入るのですが、この時点で完全に文系なのは、頭から抜け落ちどこかへ行ってしまいました。

その後、入った学科を生かして農業をやろうと思っていたのですが、土地がないことに気づいて、両親や兄弟の説得により、経済コースへ舵を切ります。

まあ、農業コースに行っても理系学科で詰んでいたと思うので、下手をすると落第していたかもしれませんが。

経済コースへ行ったことで、将来的には営業方面を目指さざるを得なくなりました。しかし、本人の希望は、漫画家だったのです。絵も描けないのに。

絵は練習すれば上手くなると思っていました。

一応毎日練習はしていたのですが、大学時代の学友が「〇〇ちゃんに漫画家は無理だ。それより営業職を見越して酒に強くなる練習をしよう」と連日の酒盛りに誘います。私は酒が飲めなかったので、格好の標的になってしまいました。

 

結果的に一週間の半分は酒を飲んでいることになってしまって、大学には通えないわ、漫画の練習は半分になるわと、碌な結果になりませんでした。

 

たぶん、心の奥底で普通の勤め人は無理だと感じていたのでしょう。何せアルバイトも満足にできない大学生でしたから。

 

当時は大学生もアルバイトで社会人経験を積んで、立派な社会人予備軍になることが推奨されていました。学生向けの求人誌も花盛りです。私はそれを買うのですが、電話をする段階でしり込みしてしまいます。

 

アルバイトはほとんど出来ませんでしたが、就職戦線に駆り出されました。ここでADHDの準備不足がたたり、内定の可能性の高かった会社から落ちてしまいました。会社のパンフレットを読んでおかなかったのが原因です。

 

結局、なんとか小売りに就職できましたが、厳しい現場に早々に音を上げて、漫画家への転身を考えていました。それがやがてお笑い芸人になったり、ライターになったりしています。小説家がないのは、小説が書けなかったからです。

 

どうも私は、自分の能力から就労先を判断することができないみたいです。

なので、折角介護専門学校に行っても、実技が壊滅的でどうしようもなく、キャリアにはなりませんでした。

自分の能力を総合的に判定して、就労先を見つけるのは私には無理だと思います。いい援助が受けられないかと悩んでいます。自分で探させると、とんでもない変な職場を選ぶことが多いです。

剣道の防具を作る会社とか、昆虫標本(樹脂で固めたような奴)を選んでどちらも落ちています。

普通の人が普通にできることが何もできないから、特殊な会社を選んでしまうみたいです。

 

間違った恋愛観(発達男子)

これは、発達障害者にとっては最も難関じゃないかと思います。

どうも発達障害者の多く(主に男性)は間違った恋愛観を持ってしまいがちではないかと思うのです。

 

現実に自分を鑑みても、どうやら普通の人の恋愛観と著しく違うであろうことはなんとなくわかります。

恋愛については、ほぼ野放しな現状ですが、発達障害者のミステイクを減らすために、何らかの機関で教育した方がいいとさえ思えます。

一般的に発達障害者は惚れやすいなどと巷では言われております。これについては個人差があり、よくわかりませんが、こと自分に関しては、惚れやすくかなりやばい性格だということが判明しました。

つまり、女性相手からあまり親切にされた経験が少ないので、すぐに勘違いをしてしまうんですね。困ったものです。

また、男女交際における一般常識を全く知らないのも残念です。だから、誰かが主観で書いたマニュアル本に載っていることが、この世の真理だと思いがちになります。

さらに、自分の資質(才能とか仕事力とか金銭感覚)を検討せずに誠意と気合だけでなんとかなるという、未来へのどんぶり勘定的性格も悩みの種です。現時点では恋愛にうつつを抜かしてる段ではないんですけどね。

やはり、発達障害者は娯楽とか誘惑に人一倍弱いものなのでしょうか? それとも私だけが特殊な人格なんでしょうか。おそらく後者だと思います。

 

 

































常識の欠如そして戸惑い

前職の(正確に書くと一番最初の職場でのエピソードなんですが)話です。

バックヤードの机の上に飲みかけのジュースが置いてあって、パートの方に

「これ誰の?」と聞かれた時、言い淀んでしまって不信感を持たれました。

なぜ、戸惑ったのかと言うと、男同士だと他人のジュースを途中から飲むという文化があってですね。女性の場合はどうなんだろうと考えてしまったからです。

女性の文化はよくわからないのですね。そのジュースは誰かの飲み残しなのは間違いなかったのですが、それを伝えて相手の人が飲むかどうかは、その人の考え方に因るものだというのが、わからないでいたので、正確に告げることはできませんでした。

その後、そのジュースの持ち主がやってきて、状況は伝わったのですが、二人とも露骨に変な顔をしていました。このように、どうでもいい所で躓いてしまうんですよ。困ったものです。

 

もう一つ別の話になりますが、業務上で犬の餌の缶詰に虫が湧いたんですよ。それを上司に言えばよかったのですが、パートさんに先に知らせてしまいました。

この場合、業務上の不具合ですから、上司に直接伝えるべきでしたが、なぜか同僚のパートさんに伝えるというミスです。おそらく当時の自分は、上司に伝えると叱られると思ったのでしょうが。パートさんに伝えても上司の所に行くのですから叱られることに変わりありません。どうしてこんな単純なことがわからないのかが不思議です。

 

虫の湧いた缶詰はすぐに返品されて、特に私の責任が問われることはなかったのですが、「こいつ、おかしいぞ」というのは上司には伝わっていると思います。

 

それ以前に散々やらかしていましたから、とっくに伝わっていると思うのですが。うっかりミス以外の、常識の欠如的なミスは、これが初めてだったと思います。