想起と情報量

ある事柄を頭の中で想起した場合、どのような情報が付随するのかを考えてみました。

具体的に1980年代のミュージシャンにスポットを当ててみました。

種ともことパーティ・フーラを記憶から取り出すと、当時の雑誌『デビュー』のページが再現されました。ブルー地のページに種ともこの顔のアップと、黒服に金髪のパーティ・フーラの写真が映像として再現されています。ですが、お二人の音楽を聴いていないので、無音です。

 

次に、GIオレンジを想起しました。映像は出ないのですが『サイキックマジック』のサビの部分が再生されました。続いて、ボーイ・ジョージを想起したところ、ボーイ・ジョージの全身と『君は完璧さ』のメロディが流れ『キリコえくすぷれす』に出ていたジョージまでが登場しています。

 

どうやら、付随する情報が多いほどそれをいっぺんに抽出する傾向が、私の脳にはあるようです。その分、思考の遅れや外界からの反応に遅れが生じます。つまり、自然体で試行している限り、外部の人間からは『ぼーっ』としているようにしか映らないわけです。今回のデーターは大きさ的に言うと、前者がB5雑誌の見開きサイズ、後者ははがきサイズで再生されています。提供される情報が多いほど、画像は縮小する傾向があるのかについては、もう少しサンプルを経験してみないとわかりません。

 

私は脳内で、漫画や音楽を再生することができます。たぶん、他の人も同じことができると思っています。逆に脳内で再生が不可能なのは、映画、スポーツの試合です。小説に関しては、ドラマ化されたものはドラマとして、または勝手に映像として置き換えられるみたいです。それも概略で「だいたいこんな話」として提示されることが多く、活字を一から追いかけるスタイルでは、一度も想起されませんでした。

 

今、『ドクトルマンボウ昆虫記』のワンシーンを想起してみましたが、映像と音声で出てきました。後は当時の文庫本に書かれていたイラストを元にした漫画が表現されます。

 

今後も、このような脳の働きについて、追って考察していきたいと思います。そしていつか、何故発達障害者は仕事が出来ないのかという点について考えていきたいと思います。