共感性のない者が示す優しさ

私の優しさは、どうしてもASDの絡みで、空回りしがちなものになります。基本的に、普通の親切はできるのですが、もう少し込み入った内容になると、難しくなるようです。

 

またどうしても、何かをしてあげたくなるため、黙って寄り添うといった行動を伴わない優しさというのが苦手です。

 

さらに、普段のKYな行動や、独演会チックな会話内容、さらに日々の失言癖などで帳消しになってしまう事が多々あります。

 

かって好きだった異性に相談を持ち掛けられた時に、対応法が思いつかなかったので、黙って相手の話をただ聞いていました。すると、何故か急に仲が接近しました。

 

その意味も分からず、次に相談を受けた時に、張り切って解決策をたくさんメールしました。皆さんの予想通り、急速に仲は冷えて元の他人行儀な関係に戻りました。

 

この様な失敗を繰り返しても、現実的には定型発達者が持ち合わせている共感性というのが、どうしてもわからないので、優しさを発揮しようとしても、現実には、あさっての方向を向いた努力になりがちです。

 

もともと、下心なしに発動している場合は、普通の手助けとして成立できるのですが、たまに恋愛感情が付随した場合は、間違ったおせっかいを連発してしまい、相手から疎まれることを繰り返してきたような気がします。

 

ですので、小さな親切程度であれば自分としても能力を発揮できて、適応可能ですが、恋愛感情を帯同した場合、過剰な自意識が邪魔をして、異性からは気持ち悪く映って距離を置かれがちになります。

 

自分はメタ認知が苦手なので、自分の行動が相手からどう取られているのかを判断できず、気持ち悪さに拍車をかける行動様式を選択してしまい、さらに溝が深まるような傾向があります。

 

つまり、良心から発露するような優しさであれば、十分な気配りとして、他者に対して対応できるのですが、「相手からよく思われたい」といった利己的な自意識にとらわれると、とたんに動作がぎこちなくなり、言動も怪しくなって、キモがられるメンタルの一丁上がりです。

 

共感性は低いのですが、過剰な期待感がなければ、自分本来の優しさは過不足なく与えられます。そこに妙な感情が入り交じり、一挙手一投足に、自分の考える相手の気持ちが加味されることで、気持ち悪さが倍増してしまうのでしょう。

 

「嫌われたくない」という思いが、逆に嫌悪感を引き寄せてしまうという救いようのない状況です。

 

なので、人に与える変さを抑えるためには、一旦、過剰な期待値という物を捨て去って、フラットな対応を目指すしかないと思います。