小学生時代(自傷行為や虐めについての記載があります)

二年生になってから担任が変わって厳しい女性の先生になりました。

それまで問題はなかったのですが、何かにつけて叱られることが多くなり、残されることも増えました。

たぶん動きがとろいから目の敵にされていたと思います。

 

当時給食のお肉が食べられなくて、食べられるまで食事させるという指導がなされていたんですが。食べられない物はどうしても無理だったので、昼休みの掃除時間、求職を目の前にして何もせず。昼休みを終えてから給食の残りを捨てていました。

 

今考えると肉の食感がだめで食べられなかったんだと思います。肉の脂身の噛んでも噛めない、おまけにプリプリしているのが子供心に気持ち悪かったのです。

 

そんなことをしているうちに「あいつは、わざと給食を食べられないふりをして掃除をサボっている」とのうわさが立ち、いろいろと虐められるようになりました。虐めの原因は、具体的にはわからず。気が付いたら虐められていました。

 

ある日、クラスに鉛筆削りが配置された時、いじめっこが私の鉛筆を取り上げ削りまくって全部小さくしてしまいました。

 

また、私がクラスの後ろで着替えていたら、振り上げた手が後ろの棚に置いてあったおたまじゃくしの容器にあたって中身がこぼれ、腐敗したおたまじゃくしが飛び散りました。私は別にわざとやったのではなく、シャツを着ようとしたら手が容器に当たってしまったのです。この時も私だけが叱られて、腐ったおたまじゃくしを放置した生徒はおとがめなしでした。

 

今考えると私は当時の担任から嫌われていたと思います。担任からすれば、ADD不注意全開の私を見たら呆れて怒りたくなったと思います。

 

クラスで自由時間になり自由な運動をしていいという事になった時。私は風が吹いてきたら「うぉーっ」と叫んで縄跳びを振り回すというグループに入りました。先生は私の説明を聞くと「体育に関係ない」とそっぽを向いて離れていき、まともな運動をしているグループの方へいってしまいました。先生に見放された私たちは、ほどなく解散してしまったのですが、行く当てもなく佇む。

 

やたら厳しい女性で、ビンタされたことがあります。

体育の授業がある前日。私はふざけて自分の太ももにマジックでブタのお尻を描いてしまい。翌日短パンで授業を受けなきゃならないことに気づいたのですが、洗っても落ちません。仕方がないので体育の体操の時、太ももを隠して体操していたら先生に見つかって、「何をしているの」と問われて理由を話すと「絵を見せてごらん」と言われ見せたとたんにビンタを張られました。

 

先生が私に対して厳しいので(むしろやんちゃな生徒や元気が良すぎていじめてる生徒には甘かった気がします)、クラスの中に「こいつはいじめてもいい」という空気が形成されたと思われます。好きでもない女子の体育袋を口の中に押し込められたりしました。しかし、私に対するいじめで誰かが叱られた記憶はありません。

 

三年生になり、前のクラスのまま担任が変わりました。でも、前任の指導で私をいじめてもいいという空気が完成していたので、いじめは減りませんでした。

 

私はノートが濡れて紙が柔らかくなったのを気に入り穴をあけて遊んでいたら、同級生に見つかり「大切なノートを粗末にするとは何事だ」と怒られたりしました。

 

ある日、同級生に「二階から首筋に鉛筆を投げて怪我をさせようとした」と因縁をつけられていじめられました。その時同級生は「お前は金持ちの子供だろう」と言われました。これが原因で最近まで私はお金持ちの子息だと思い込んでいたから、おかしなものですね。

話しは戻りますが、仕返しとばかりに首筋に鉛筆を刺されました。現実に私はそのような悪戯をしたことはありません。パニックになった私は、自分で自分の首筋に鉛筆を突きたてました。

同級生は「自殺未遂だ」と騒ぎ、私は学校から飛び出してバスにひかれそうになり、道に迷っておまわりさんに保護されました。

 

その後の事は覚えていません。いつしか北海道への転校が決まり、通いなれた小学校をはなれることになりました。普通の生徒は転校するとき前の学校に手紙を書いたりするのですが、私は求められず、手紙も出しませんでした。仲の良い友人が一人もいなかったからです。

 

こうして静岡での地獄のような日々は終わりを告げました。