神像が届いてから
6月26日にハヌマーン様の神像が届いてから18日が経過しました。
その間、奇跡みたいなご利益が立て続けに起きています。
神像が来てから、動いてなかったスマホのTwitterアプリが突然直りました。
今では普通に使えてます。
そして昨日ですが、蠍座ラグナだったのが天秤座ラグナではないかと判明しました。
これで少し楽になりました。私の天秤座ラグナはドゥシュタナハウス星いっぱいで呪われたラーシチャートだったんです。それがラグナ移動したことによって祝福されたチャートに変わりました。
一番私がこだわっている部分を突いてきて一挙に開運です。
流石神様すごい!ってなりました。
これは礼拝をサボったりはできないなと思いました。
やっとこさ家事
やっとこさ家事をする。
めんどくさいのでチャチャッと洗う。
本当にチャチャッとなので汚れがついている。
ダメだこりゃ。
いいのだ。
私がいいと言えばいいのだ。
開運って何?
占いマニアだとよく耳にするものに開運法ってあるんですが。
開運法ってなんでしょうか。
基本的に今持っている能力を最大限に生かして競争社会を勝ち抜いて昇り詰めるという事なのですが、手持ちのカードには差があります。
私自身の能力的にはかなり厳しいです。まず自閉症者なので一般人が努力なしで身に着けている(と思われる)一般常識が皆無なんですね。つまり普通の人が考えてたどるルートを使うことができない。これは大変です。
ついでADHDなので、記憶の保持が難しい。あるタスクを頭に置いて別の事をしてから、そのキープしていたタスクに戻ってこなすという事ができません。忘れてしまいます。
これだと、現代社会で生き抜くことはかなり困難になります。
ルールを知らないで野球しているようなもんです。そしてそのルールを頻繁に忘れる。
凸で勝負すればいいじゃないかと言われるかもしれませんが、私の凸は、健常者と比べるとおそらく平均値です。これでは勝てません。
才能歯磨けば光ると思っている方も多いのでしょうが、埋蔵量次第です。埋蔵量が少ないと磨いたところで伸びしろがないです。
これはどうしたもんかなと思います。そもそも、普通の人ができる事でそつなくこなして就労するという事ができませんでした。
これを説明すると、努力不足だと取られかねないのですが、他者からの説明が理解できないことがあります。何度聞いても分からなかったりします。レジ操作とかまさにそれでした。
だから開運するには能力の凸凹はあまりない方がいいし、理解力は高い方がいいし、吸収力や模倣力もあった方がいいです。加えて対人折衝に役立つ愛嬌なんかも欠かせません。だとするとすでに開運してるスペックのある人が開運の可能性があるという身もふたもない結論になってしまいました。
自分の運路を観測していて、現時点で分かるのは先に環境が変わり、こちらもリラックスできて持てる力を発揮できるような状況が運のいい状態でした。そして運が悪くなる時は、まず周囲がだんだんと厳しくなっていった気がします。その環境がソフトになったりハードになったりする素因という物がわからないのです。これに関していえば星の巡りとしか形容できません。
月並みですが、ある程度礼儀正しかったりすると好印象なので、高圧的な切れ者よりは愛されキャラの方がいいような気がします。若い頃は自覚のない前者でしたから。
本当はがむしゃらに勝ちに行くより、誰も傷つけない方法で穏便に生活するのが一番だと思うのですが、今の日本は厳しいので一握りの強者でないと生活が立ち行かなくなってるのが難しい所です。
ある占いサイトで見たのですが、開運している時期は誰にも注目されずに日々の生活を平穏にこなしている状態の事をいうのだと語られていました。それが開運の真相だと思いますね。
目立つとかチヤホヤされることは、落ちる時が怖いし、中にはさらし者にされる目的(運命の側からの要請)で有名になる運の人もいるらしいのです。
Время и Стекло - Имя 505
小説を書いたが本調子ではない
頭の中にカメラがあって情景を映し出すからそれをなぞっていればよかった。
ところが頭の中のカメラが作動せず、アニメが流れている。
そのアニメのエピソードを描くような状態です。
つまりすっからかんなんです。
一晩寝かせたら、いろいろ削りたくなって削っていたらさらに中身がスカスカになってしまいました。おまけに筒井康隆っぽい書き方をしてしまった。恥ずかしい(*ノωノ)
思わず、普段やらない顔文字まで書いてしまいました。
なんだろうなー。
かっての才能よ戻ってこい。
ブログを再開します
なんとなく再開しました。
それで、結局人生とかになるんですよね。
だいたい何でこんなに結果に差があるのか、蓄積に大きく差がつくのか、人間性に差が出てくるのか、モテ非モテで大きく違うのか、健康状態の違いとは何なのかまったくわからないです。
それは努力の有無とか持って生まれた才能とかいろいろあるはずですが、それがなんなのかわからないです。努力は、私は努力嫌いであまりしない方なんですが、ほかの人はみな努力をしているのになんでこんなに差が広がるのかわからないです。
まえに小説家になろうで見た、名もなき多肉という元プロ作家の方がいるのですが、漢字の書き取りを実直に毎日練習したにもかかわらず全く成果が上がらなかったというエッセイを見たことがあります。
彼は十分努力をしているにもかかわらず結果を残せなかった。つまり能力がなければ成果を残すことができないわけです。となると努力がばかばかしくなります。
その差が何なのか、才能のある人はどうして才能があるのか。結局血筋じゃないのかと思うと落ち込みます。
他にもツイッターで深爪という方が「優等生には美男美女が多い」とのツイートをしているのを見たことがあります。
私はキモメンだし頭もそんなに良くはないです。もちろん今の社会でもうだつが上がらず底辺の方にいます。
考えても仕方ないのですが、一応占いもやっているので、だいたい生れた時の星の配置で運命が決まってしまう事は知ってます。まだ少しの例しか見てないのですが、やっぱり努力は関係なさそうな気がします。というより能力に恵まれていた人は多少の努力で一足飛びに階段を駆け上がって行くような感じです。
私はかって介護専門学校にいたのですが、私と他数名の仲間はいくら頑張ってもシーツ交換が上手くできなかった。毎日学校に残ってシーツ交換の練習を繰り返していました。そんな私たちを差し置いて好成績でシーツ交換の試験に合格したのは、全く努力もしなかった若い同級生たちでした。やっぱり能力の差で決まるような気がします。
さてそんな生まれ日を分けるものは何なのでしょうか。私は本来の予定日より早く未熟児で生まれました。その日の命式は平凡でした。自分の占術から見ると最低のホロスコープでした。まあ占術によって目指すものが違うから評価が違うのは仕方がないです。
四柱推命では平凡な支柱だと出ています。そのせいか自分にはまったく取柄という物がなく、どの分野においても人より優れたものがありません。私には何もないのです。
努力嫌いなせいもありますが、一応目標達成の指揮官と呼べる星がついています。ですが全く機能していません。人生において全精力を傾けていた分野として「韓国のプロレス」があったのですが、韓国語習得で足踏みしてる間に、同分野に関して取材を続け、かつ語学も堪能な先人たち何人も追い抜かれています。つまり私の力ではその趣味の第一人者にはなれませんでした。
どうもやっぱりその点が私がプライドが高すぎると評される部分もあると思います。とにかく上を目指しすぎてしまうのですね。ですがやっぱり総合的な能力では劣っているのでとても成果を残すまでには至らないのですね。
もう少し配置が良ければなんとかなったのかもしれませんが、ホロスコープを問題視してる時点でダメだったのかなと言われそうですね。でもやっぱり持って生まれた能力だと思うんですよね。韓国語は4年やったけどダメだったのでした。