マニュアルを読むなと言われたことをかたくなに守る

現場と、本部の乖離なんて今に始まったことではないのですが、昔働いてた職場では「マニュアルなんて読むな。無駄だ」と言われたことを真に受けて、一切読みませんでした。

 

こちらも怠け心があったので、上手く肯定してもらってしめしめって感じで何も勉強しなかったです。

 

それでも、一応仕事は、現場での教育を元にこなしていたつもりなんですが、傍から見れば全然ダメだったようです。

 

昔から、数を勘定するのが苦手で、それを一切やらなかったから、先輩からは叱られてばかりいました。おそらくマニュアルには記載されていたのでしょうけど、数えていたら仕事が終わらなくなるという自己判断の元、まったく手を付けられませんでした。

 

また、商品を台車に乗せる時、バランス感覚が分からず、しょっちゅう荷物を崩したり、ひっくり返したりしていました。これも今思えば、マニュアルに何がしか書いてあったと思います。いやどうかな?

いくら、初心者向けとはいえ、荷物の上手な積み方なんて書くだろうか? と疑問に思うのですが、まったく目を通していないので確認しようがありません。後の祭りです。

 

また、原価計算が全然できませんでした。これについては、マニュアルを参照すべきでした。おそらく細かく書かれていたと思います。あの仕事で原価計算ができないのは致命傷です。

これを見た上司の方々がおられましたら、決して発達障害者相手に「マニュアルは役に立たないから見るな」とは言わないでいただきたいです。私みたいに真に受けて、無視してしまうからです。

そこから勝手に派生させて、私は新人教育も真面目に受けませんでした。ひどい怠け者ですね。

やはり、発達障害者は年齢×七割なので、同期に比べて精神的に幼く、社会で働く意味をよく分かっていなかったような気がします。実家にいたのも良くなかったのでしょう。働いて自立するという観点が全く抜け落ちていました。

同僚で高卒の方がいたのですが、経営者視点で働いていて、私より大人でした。

仕事中の思考の流れよりかは、身体で覚えることが重要か?

前職のスーパーの仕事内容は、あまり覚えていないので、介護専門学校時代の仕事について考察していきたいと思います。

 

まず最初の仕事らしい実技は、シーツのセッティングだったのですが。これがいくらやっても覚えられませんでした。教師や同級生の手の動きなどは、じっくり観察しているのですが、いざ自分がやってみる段になると、まったく、お手本通りにできずに、ぐちゃぐちゃになります。今考えると不器用さが影響しているのだとわかるのですが。当時はわからず。

 

毎日、学校に残って練習していましたが、何も努力していない同級生の方が点数は高かったです。記憶は動画での記憶が不可能だったので、静止画で記録していたのですが、映像としては細部が不鮮明すぎて役立ちませんでした。

 

当然フォーカスすべき、シーツの折り目部分が漠然としていて、再生しても、手先の動作に連動できず、途方に暮れていました。また折り目をきっちりとつけることができないので、どうしてもぐちゃぐちゃになってしまいがちです。

 

これと似たことは漫画を描く時にも、同じ現象がありまして、画像で把握してる割には細部のフォーカスが上手く行かないので、模写を見ずにできないので困りました。つまりお手本がないと何も描けないことになります。普通、漫画を描く人は、資料が手元になくてもそれなりに、車ですとか背景が描けたりするので、その点においてはまったく不利でした。

 

定型発達者は、作業を記憶する際にどのように変換して記憶しているかはわかりませんが。映像及び動画記憶では出力に時間がかかりすぎるので、同様のやり方で採用してるとは思えません。おそらく、教わったことを別の物に変換して、手先に記憶させているのだと思います。自転車等に乗る時に、いちいち頭で考えてやらないようなことを、作業として再現してるのだと思います。

想起と情報量

ある事柄を頭の中で想起した場合、どのような情報が付随するのかを考えてみました。

具体的に1980年代のミュージシャンにスポットを当ててみました。

種ともことパーティ・フーラを記憶から取り出すと、当時の雑誌『デビュー』のページが再現されました。ブルー地のページに種ともこの顔のアップと、黒服に金髪のパーティ・フーラの写真が映像として再現されています。ですが、お二人の音楽を聴いていないので、無音です。

 

次に、GIオレンジを想起しました。映像は出ないのですが『サイキックマジック』のサビの部分が再生されました。続いて、ボーイ・ジョージを想起したところ、ボーイ・ジョージの全身と『君は完璧さ』のメロディが流れ『キリコえくすぷれす』に出ていたジョージまでが登場しています。

 

どうやら、付随する情報が多いほどそれをいっぺんに抽出する傾向が、私の脳にはあるようです。その分、思考の遅れや外界からの反応に遅れが生じます。つまり、自然体で試行している限り、外部の人間からは『ぼーっ』としているようにしか映らないわけです。今回のデーターは大きさ的に言うと、前者がB5雑誌の見開きサイズ、後者ははがきサイズで再生されています。提供される情報が多いほど、画像は縮小する傾向があるのかについては、もう少しサンプルを経験してみないとわかりません。

 

私は脳内で、漫画や音楽を再生することができます。たぶん、他の人も同じことができると思っています。逆に脳内で再生が不可能なのは、映画、スポーツの試合です。小説に関しては、ドラマ化されたものはドラマとして、または勝手に映像として置き換えられるみたいです。それも概略で「だいたいこんな話」として提示されることが多く、活字を一から追いかけるスタイルでは、一度も想起されませんでした。

 

今、『ドクトルマンボウ昆虫記』のワンシーンを想起してみましたが、映像と音声で出てきました。後は当時の文庫本に書かれていたイラストを元にした漫画が表現されます。

 

今後も、このような脳の働きについて、追って考察していきたいと思います。そしていつか、何故発達障害者は仕事が出来ないのかという点について考えていきたいと思います。

はじめに

本来ここでは、介護について書く予定でしたが、気が変わったので、別のことについて書きます。基本的に、発達障害について書こうと思います。

ただ、もう巷にあふれているんですよね。だから、発達障害者と社会というような内容ではなくて、自分の頭の中について書いてみようかなと思っています。