運路を進む ただ進むだけ

最近の私はほぼ運路通りに動くしかなくなってますね。

個人の方向性が自分の好きに倣って動いているので、その通りに進むと運路通りの人生を歩むのですが、そこで他者の意見に依存していると、おそらく運勢は停滞します。

 

ただ運路通りに進むと不幸は間違いないんですよね。

だから、あえて自分の好きじゃないことをやろうとしているのですが、これがかなり難しいです。自分自身が肉体に在る時は自分主体なので、ほぼ自分の好きなように進めていくんですよね。でもそれが罠だったりします。現時点で不幸なのは自分の行動の結果だと思うのですね。

そこで自分を俯瞰して見れる存在が必要になってくるのですが、なかなかそれを動かしづらいので、結果としてほぼ自分のやりたいことをする人生になってます。

とても難しいです。

あえて自分のしないことをするというのも難しくて、選択肢で選ぶとしたら自分の好きな物を選んだり買ったりしますね。好きじゃないものを選ぶというやり方にはまだ慣れていないので、なかなか定着できないです。

今年は最後の運勢のいい時期らしいのですが、あえて運勢の流れに乗らないように動いていきたいと感じています。

開運法は難しい。

自分がいて自分の好きなことをするのがベストだと思って人生を選択していたのですが、結局いくら好きを実績にしようとしても社会の方からダメ出しを食らうんですよね。気が付いたら人生がどうにもならなくなってしまいました。

 

齢55にして人生どうにもならないです。どうしようもない。チャート見てもどうにもならないって出てる。もしも真面目に生きていたらもうすこしなんとかなったはずと思ったのですが、そもそもここ十年ぐらいは「あんたの人生どうにもなりまへん」って出てます。つまり自分でなんとかしようと思わなかったし、大きく性格が変わりました。すごい不真面目になってしまいました。でもこれが自分なんです。

 

このように、時期が来ると人の性格なんて星の移り変わりで簡単に変わってしまう事がいろいろ検証してみて判明しました。もうどうにもならないです。運命の導くままの人生を歩んでいきます。

 

中にはメンタルを鍛えまくって星の動きに左右されない人もいるにはいるのですが、やっぱり発達障害を持っているとどうにもなりません。一番欲望に弱い脳ですから、自分をコントロールできないです。

 

でもみんながみんなチャートをじっくり見て生きているわけでないので、「俺は努力して自分の人生を良きものにしてきた(ガハハ)」とか言ってる人ほどチャート通りの人生を送っていたりします。知らぬが仏ですね。

 

ただ、星の動きなんかにさゆうされて生きるなんてたまるかっていうのも少しあるのですが、このまま運命通りの人生だとすごくまずいです。だから何とかして変えていきたいんですが。

 

自由意志だと思っている物が結果として星の影響だったりするから難しいのです。自分がしたいことでない事をしようと思っても、そもそもやりたいことじゃないことをするというのが難しいですし、やりたくないことをするというのが発達障害者にはできません。

 

結局、運命が導くままの人生をそのままなぞりつつ生きています。

不運は心の動きだってやっとこさ気づいた 遅かった

正式名称は忘れたのですが

6番目のダシャーがまずかったので

今日はかなり意図的に何もせずに大人しくしていました。

ネットからなるべく離れて

寝て過ごしていました。

 

それにもかかわらず

心の方で勝手に怒ったり不安がったりしたんですね。

 

もしかすると

不運というのはトラブルが振ってくるのではなくて

心をかき乱した私が

その時出くわした出来事にケンカを売っているのではないかと思いました。

 

心理学でいう所の投影なのですが。

この年になってやっと気づきました。

 

全部が全部そうなのかどうかは、まだ検証しきれていないのですが。

何故か不思議なことにダシャー通りの心理状況になります。

 

でもこれってみんな知ってることなんだろうなって思います。

知ってても心のコントロールは難しすぎて

ぜんぜん抵抗できずに運路通りの人生を歩んでいるのではと思いました。

ざっと近況などを

はーい。おひさびさですね。

もうブログを放置してからどれぐらいなんだろうか。

私は元気です。まあダウナーが普段の私だから世間から見たら元気がないってこと。

 

インド占星術に目覚めたり

フ_コンタクテ退会してキャス聞いてインドネシア語始めて

別人格みたいなタルパさんと入れ替えて生活してます。

 

TocoParaVosやмонеточкаが受けてます。

 

なんなんでしょうね。自分の人生の先が見通せてしまって、少し人生に対しての姿勢が変わるまでいかなくて相変わらず不運におびえてます。

 

非モテなのはどうでもよくなっちゃった。あんだけ彼女いないことを気にしてた私がえらい変わりようです。うん、そこだけはすごい。(占いでは結婚できるらしい……その後修羅場です)

 

ただ、小説は書けないし、絵もへたくそなままだし楽器演奏は放り投げました。

根気ないのは変わらないなぁ。

 

最近はお経を唱えてます。再開しました。いつまで続くやら。

瞑想はやったりやらなかったりですね。

筋トレは思い出し程度。

ZUMBAは三日前にやりました。久々です本当に久々。

アーユルヴェーダとヨガ始めて三日坊主でした。

 

 

何もしないで一日が終わるとかそんな日々です。

弱者男性ってもあたしもなんだけどね

 ツイッター内では弱者男性による男女の対立がいつ果てることなく続いています。あたしも弱者男性で彼女がいたことなど人生において一度もありません。

 

 だから普通の人が普通に暮らしていたら起きるイベントが皆無っていうのは同情に値するとは思うのですが、やっぱり発達障害がベースにあると本当にどうしようもないです。本人は好かれようとしてやっている事がすべて裏目に出る。ええ、何度も経験しましたよ。

 

 フェミニストの人は女性をトロフィー扱いしているって批判します。でももしかしたら世の男どもの態度は許せないって非モテ男性も中にはいるかもしれません。「俺なら上手くやれる、女の子を泣かせたりはしない」と。

 

 志は立派です。でもね、チャンスがないとどうしようもないし基本男性でしょ、普通の男性が陥るドツボにはまらないなんて言えないと思うのです。どんなに気を付けていても男である故の思考パターンが相手を傷つけることだって考えられるし、だいたい恋愛初心者がそうそう上手く振る舞えるわけではない。

 

 やっぱりどうしても経験の差もあるだろうし、それ以前に自分が持っている非モテ的な男性らしくなさが一番女性の神経を逆なでしている要素であるって可能性も考えられるのです。

 

 だからもう40年ぐらいそういうチャンスがないという事はその人の魅力云々以前に非モテてきなキャラクターや草食男子の草食たるゆえんが女性のセンサーから地雷を踏み抜いているんだと考えてみる必要はあると思います。その上でキッパリあきらめましょう。

 

 発達女性は男を見つければイージーモードだと言われますが。その男は非モテ男子が恐れるバリバリ全開の男の中の男なのです。たぶんテストテトロン分泌しまくりタイプだと思われます。そういう人苦手でしょ。そんな男性と一緒になる女性は大変だと思います。いや、よき理解者で理想的な男性かも知れませんが。その可能性は低い。

 

 くっついたとしても普通は女性としてのジェンダーロールを背負わされる可能性が高いので発達女性にはきめ細やかさは鬼門です。

 

 だから本当に申し訳ないのですが、男女交際という物は選ばれた人だけが到達できる高みだと思って諦めた方がいいです。あたしも諦めました。なんかもう手の施しようがないくらい非モテ男性の恋愛能力は低いです。あたしを振り返ってみても何が悪いのか分からないが全力で嫌われに行ってる感があります。何が悪いのか分からないのがミソです。とっとと撤退しましょう。

 

ロシア語単語が心をノック

セルバンテスに先行してロシア語エッセイを書いていたので

この話はセルバンテスと同時掲載にします。

 

 

ロシア語学習を続けています。

今日、耳馴染みの単語が出来て勝手に自動再生されるようになりました。

音だけ聞こえて意味も綴りもわからないと落ち着かないので調べて綴りと意味を確認しています。

 

かって学習していた他の言語では起きなかった状況なので興味深いです。

 

一番学習期間の長い英語でもこのようなことはありませんでした。

英語の場合意識を振らないと音声再生はされないですね。

主体は私にあります。

 

ロシア語は勝手に再生されるのです。

主体は私ではない何かです。

 

出所はだいたいわかります。キクタンのロシア語の音声だと思われます。

なんとなく耳が覚えていたのでしょう。

 

前にある人にお経を勧められて何度も読経していたら覚えるつもりもないのに覚えていて音声で再現できたことがありました。

 

それに近いのかな。

語学学習に役立てばいいと思います。

 

人が母国語を覚えるプロセスもそんなのだったりして。

だったら楽なんですが、どうもちがうようです。

 発達障害者介護というもの

やっと復帰です。

両親を介護してたら頭がおかしくなって入院していました。

 

やっぱりどうしてもこだわりがある私とそのこだわりを壊しにかかる両親とでは上手く行かないみたいです。

それに発達障害の事も「努力不足」「怠け者の言い訳」と捉えられて毎日の叱責の種にされました。

 

自分では普通だと思っていたのですが、福祉の方に言わせると「崖っぷち」だったようです。そういう自分の苦境に気づけないのも発達障害ゆえなのかな。

 

ただツイッターとかなろうではもう書くものが頭おかしくなっていましたね。

直前に、こんな物書いています。

https://ncode.syosetu.com/n0163fz/

 

これからは洗心庵さんの今日のコラムにあったように

「苦悩は去った。さあて楽しいことを探すか」

ではなくて、自分が救われたので同じ境遇の人を助けたい。

それをどうするか考え中です。

とりあえず、ラインに発達障害者介護に関するトークを設定しています。

掲示板はもう古いのかな。

 

なんかできたらなあって思います。