アイドル不在の人生

人生を通じてアイドルには入れ込まなかった。

高根の花だとの認識が強く、価値観を見いだせないでいた。

小学生時代には、好きなアイドルはいたが、成長するにつれて消えていった。タニヤ・タッカーの『ハローミスターサンシャイン』を機に洋楽を聴くようになってから、歌謡曲に関心が向かなくなってしまったからかもしれない。

 

思春期に、アイドルに入れ込むようなことはなく過ごしてきている。自分の場合、自閉症スペクトラム故のこだわりがあるが、熱中したお笑い芸人のミスター梅介やテキサスコンビが、アイドルだったとは認めづらい。

 

自分の中の定義では、アイドルは異性でなくてはならないと感じているようだ。洋楽で一番好きなガールズポップは、ヴォイスオブザビーハイブだったりするのだが、リアルタイムではないし、アイドルのカテゴリには入っていない。これはビジュアル情報が遅れて来ているせいもあるのだろう。

 

一時期、知人の頼みで、AKB48のメンバーに票を入れたことがあった。その時に推しメンを大家志津香多田愛佳に設定したのだが、積極的に応援する気にもなれず。追いかける気も起きず。無関心なまま終わった。私が年を取りすぎていたせいもあるのだろうが。

 

今思い出したのだが、女子プロレス阿部幸江に入れ込んでいた時期があった。当時Jd所属だったのだが、特にグッズを買ったりするようなことはなかった。でもお気に入りになっていた。この人の場合は、もしかするとアイドルとしては一番近い位置にいたりするんだろうか。自分の中では失礼だが、変な選手という位置づけにあり、それが好きを後押ししていた感覚がある。でも入れ込むのとは違うんだよな。ダニー・クロファットが好きというのと、少し違うのだが、異性を意識した好きなレスラーという微妙な立ち位置にあったのは確かだが。

 

自意識が高根の花を自動的に選別していて、アイドルを追いかける情熱の元となる疑似恋愛的要素を、意識して除外していたせいで、熱中することがなかったのかもしれない。

 

今回は、自分の中にアイドルという概念が育たなかったことを書こうとしたが、偶然にもそれに近い存在を見つけて驚いている。それでも過剰に入れ込まないのは、やはり手の届かない存在というのが強く意識されているせいだと思う。

 

自分が応援することで、相手の立場が上がるという幻想を持つ対象がアイドルだとしたら、一時期ランキング番組で順位が上がるのを望んでいたヴァン・ヘイレンが、私のアイドルになるんだろうか?